昭和57年から、なんと39年間、仙台市北部に、あります、中学校の歯科の校医を、しています。東京で勤務医を、してから仙台にもどってきて、初めて開業したのが、「荒巻セントラルプラザ」(ここは、もう以前の面影はなくなっていまいましたが)の、そばでした。そこの土地 建物は、今でも私の物ですが、歯科医院ではなく別用途で、使っています。校長先生も何代にもわたり、かわって きました。記憶に残る人、心に残る人も、かずかず、いらっしゃいます。まだ若かった私を、「歯科医師の先生」として遇して くれました。今 振り返ってみると あの人達が、私の先生でした。この北部地区は、親御さんも教育熱心な方が多く、進学校への(高校)入学も多いと聞いています。従って、虫歯が、あっても治療している歯が、多く、また 矯正装置が入っている割合も高く、親御さんの歯科に対する関心の高さがかんじられます。毎年行くのは4月から5月で何故か晴れた日が多く、まさに「風薫る」という表現がピッタリの日々でした。私にとっても、あの地域は10年間ほど開業いたしましたので、色々な思い出があります。「年々歳々 花あい にたり 歳々年々 人 おなじ からず」という言葉を思い出しました。丁度 桜が咲いている時期で、また 満開の時期で この言葉を思い出したのでしょう。時代を映すように 以前は南アジアからの女子生徒さん、最近では中国からの留学生の御子息と思われるような人 ある縁から 東北大学 法学部に留学している 中国からの留学生の人と知り合いになりました。なんと話を伺ってみると そのお父さんも以前 東北大学 工学部に留学していて 彼もその時 南鍛治町小学校に1年生の時だけ いたそうです。その彼と食事する機会があり その小学校1年生時代のことを聞いてみると「楽しいことが多かったです」という返答でした。もちろん 差別的なこともあったのでしょうが、それは この町が この地域が 彼の寛容によって 助けられたのだと思います。彼のお父さんは、現在 中国で 大学の工学部で教授をされておられると聞きました。彼に「仙台の街は良いところだし 東北大学に、是非 留学しなさい」と言ってくれたそうです。中国は、約 11年位前に、「GDP(国民総生産)」で日本を 抜き 日本の約4倍まで大きくなってきました。中国を 「1」とすると アメリカは 「1.2」 日本は 「0.25」。彼は、日本の企業に、就職が 決まったそうです。